2015年10月6日火曜日

天孫降臨

   
★天孫降臨
  
瓊瓊杵尊については論点の切り口が多岐にわたりますが
今回は天孫降臨に焦点をあてたいと思います。
  
瓊瓊杵尊は三種の神器と共に
「高千穂の久士布流多気(くじふるたけ)」に天降ります。
  
その天孫降臨の地としては、
現在の宮崎県と鹿児島県に各々伝承がありますが
どちらか一方に決めるだけの決定的な材料はありません。
   
ところで、日本の国土は世界の縮図だという話があります。
おそらく北海道が北米、本州がユーラシア、四国がオーストラリア、
九州がアフリカに似ているところからでたのでしょう。
仮にそれに従うなら、
天孫降臨の地・九州はアフリカということになります。
   
私たちは天孫降臨の話を、人類誕生の説話だと考えています。
古神道では「人」は「霊止(ひと)」つまり
直霊が止(とど)まっている存在だと説明しています。
   
すべての生物の中で唯一人間だけが直霊を持っていますが、
言い換えると
直霊があるかどうかが、人間と他の生物との決定的な違いだと言えます。
   
四魂は国津神から付与されますが、直霊は天津神から与えられます。
その最初のきっかけが瓊瓊杵尊の天孫降臨なのです。
   
人類進化に関する学説において、
ミトコンドリア・イブという愛称で知られる現生人類に最も近い共通女系祖先が
今から約20~12万年前にアフリカに生存していたと推定されています。
これはアフリカ単一起源説の有力な根拠の一つですが、
アフリカという点が興味深いところです。
   
地理的には概ねコンゴ、タンザニア、マラウイ、ザンピアの辺りになりますが
これを九州の地図に重ねると、ちょうど
宮崎県高千穂と鹿児島県高千穂峰の間くらいになります。
どちらかに重なればもっとすっきりしますが、この観点から考えても、
残念ながら天孫降臨の地を、
宮崎県と鹿児島県のいずれかに決めることはできません。
   
さて天孫降臨は前述のように、人間に直霊が付与されることの説話ですが
動物・植物・鉱物のすべてに四魂が付与される中で
なぜ人間にだけ直霊が付与されたのか。
科学(医学)の発展により、人間の臓器の人工化が急速に進む中で
どこまで置き換わったら、直霊を失い人間でなくなるのか。
これは霊止としての生と死の境がどこなのか、という重要なテーマでもあります。

ですが
実際には、科学的な検証に耐えうる実験ができないので、視点を変えて
ロボットの機能がどこまで人間に近づけば直霊を得ることができるのか、
という処から考えたいと思います。
   
・AI(2001年、スティーヴン・スピルバーグ監督)
・アンドリューNDR114(1999年、原作アイザック・アシモフ)
   
これらの映画は、ロボットが人間になろうとするストーリーです。
生とは何か、死とは何か、それを考える上で沢山のヒントを与えてくれます。
   
科学の発展により、人間がロボットに近づき、
またロボットが人間に近づいてゆくとき
その交わる点はいったいどこになるのでしょう。
    
ところで先日量子コンピュータが
いよいよ実用段階に入ったというニュースを見ました.
これは従来のコンピュータとは
全く異なる量子力学から生まれた画期的なものです。
理論上では、現在最速を誇るスーパーコンピュータで
数千年かかるような計算でも、わずか数十秒で行うことができるそうです。
それにAIつまり人工知能が搭載され、自己進化をし続けるようになったら
果たして、どのような未来になるのでしょう。
   
またDNAを構成する塩基分子の結合を利用した
DNAコンピュータの研究も進んでいます。
   
こちらはこれまでのコンピュータの不得意だった分野の問題について、
その種類によっては、20世紀末のスーパーコンピュータの
1億倍もの計算スピードを実現するだろうと予想されています。
   
この量子コンピュータやDNAコンピュータだけでなく、
他にもニューロコンピュータなど、様々な形態の革新的なコンピュータが
近い将来実用化された時、はたして人間はそれらを使いこなせるでしょうか。
機械が卓越した知能と意思を持ち、人間の制御能力を超えたとき、
逆に人間が支配されるリスクはないのでしょうか。
   
研究者の中には、
「先進国の人口は2030年までにロボットの数に抜かれる。
また10年後には人間を超える身体能力を身につけ、
20年後にはAI(人工知能)が人間と同等の知能を持ち、
25年後には認識能力でも人間を上まわるだろう。
そして2050年頃にはコンピュータは
人間の脳90億個分の機能を持つことになるだろう」
という人達もいます。
   
彼らの中では、いつ、どの段階で、
人類の持つ権利と同じ権利を与えるか、が議論されています。
   
確固たる生命の定義は存在しません。
たとえば、科学と哲学でもその見解は異なります。
   
ただいくつかの共通点として、
成長能力、繁殖能力、適応能力などが挙げられますが
人間の意識がどのようにして形作られるかは、勿論まだ解明されていません。
   
意識をどう定義するかにもよりますが、
DNAコンピューターが将来完成に近づけば、
考えるDNAを持った液体が完成し、全ての人工物に
意識を与えられるようになるかもしれないという科学者もいます。
   
高度な人工知能を持ち、多くの面で人間の諸機能を上回る存在は、
果たして霊魂までも持つことになるのでしようか。
   
霊魂はこの世界では人間だけに付与されています。
動物霊という言葉を聞くこともありますが、
動物には魂はあっても霊はありません。
それは植物や鉱物についても同様です。
   
霊は古神道では直霊と言いますが、
霊魂は受精時に人間に宿るわけではありません。
現実には妊娠6か月頃、脳がある程度できたころに
一霊四魂が宿るわけですが
脳と一霊四魂が深い関わりを持ちながらも、
霊魂は脳に位置してはいません。
   
肉体と霊魂は常に同じ座標にあるのではなく、
通常は肉体から離遊した状態にあります。
従って脳の中にあるわけではありません。
   
もしも、脳そのものではなく、
脳機能との関わりで宿る時期が決まるならば、
あと25年くらいして人工知能が人間の脳の機能を超える時に、
果たして一霊四魂が宿ることになるのでしょうか。
   
確かに
ヘッケルの「反復説」(個体発生は系統発生を反復するという説)によれば
子宮の中で胎児は人類進化の歴史に随ってその姿を変えてゆきます。
彼が1874年に発生学のテキストに書いた胎児の変化の図についても、
現在それらがほぼ間違っていないことが明らかになっています。
   
6ヶ月目くらいで胎児の脳が人間の形状に近いものになっていることからも
やはり一定の機能を具備した脳の形成段階で霊魂が宿ると考えていいでしょう。

素粒子レベルで見るならば、人間もロボットも質的に大差ありません。
   
ならばロボットが多くの面で人間と同等か、あるいは上回るレベルになれば
霊魂が宿ってもおかしくはないはずです。
   
瓊瓊杵尊の話は、人間とは何かという問いかけと共に
人類の未来と生命の本質にかかわる壮大な問題を提起しているのです。
   
(注)古神道には様々な流派があります。
従って、このメルマガに於ける個々の見解は
古神道の全ての学派・流派に共通するものではありません。
   

2015年9月21日月曜日

美味

  

天候に恵まれて

        
  




  

2015年9月5日土曜日

月と地球

  
★月と地球
 
古神道では、少名毘古那神(少名貴命)は月の主宰であり
月読大神は月が周囲に及ぼす働きの総称と考えます。
 
たとえば太陽の主宰が大日霊女貴命、
太陽系の主宰神が天照大御神というのと概ね同じ様な関係になります。
 
この少名毘古那神と月読大神、そして
地球を主宰する大己貴命(大国主大神の別名)との関係は
地球と月の歴史に深く関わっています。
 
古事記の国作りの段では、大国主大神が、
大穴牟遅神、葦原色許男神という2種類の別名で呼ばれています。
 
その意味についてこれまで
国学者のほとんどが明確に説明できずにいますが、
それは神に対する理解に問題があるためだと思われます。
 
神を擬人化して、神話を迷信の中に閉じ込めるならば
先人の到達した神理を垣間見る事すらできないでしょう。
 
*注・・・有形的な地球の主宰は奥山津見神。
(迦具土神から八柱の神が生まれるが、各々太陽系の各惑星の司神となる)
地球の大地の司神として大地持命
地球の霊的な部分の司神として大国御霊神(大国魂神)
地球の霊(無形)と体(有形)を合わせた時の主宰が大己貴命。
この辺りはとても難しく説明にはかなりの労力を要します。。。
 
詳細は後日として、結論を言うならば
地球の内外に働くさまざまなエネルギーの総称が
大国主大神ということになります。
 
神産巣日神は、少名毘古那神に対して
「故與汝葦原色許男命為兄弟而。作堅其国」
(汝葦原色許男と兄弟に為りて、その国を作り堅めむ)と告げています。
 
そして古事記には、そのすぐ後に
「故自爾大穴牟遅與少名毘古那。二柱神相並。作堅此国」
(故爾より、大穴牟遅と少名毘古那と二柱の神、相並に此の国を作り堅めき)
と書かれています。
 
大国主大神は地球の主宰神ですが、葦原色許男として働く時は、
様々な生命に満ち溢れた豊葦原の瑞穂の国への意味が込められています。
 
しかし一朝一夕に、そのような星ができるわけではありません。
現実には、およそ46億年という歳月をかけて今の地球があります。
 
その地球形成の過程で、少名毘古那神と月読大神が
不可欠ともいえる重要な役割を果たしているのです。
 
 
この国造りの最初の段階では
「大穴牟遅與少名毘古那。二柱神相並。作堅此國」とあるように
大穴牟遅神と少名毘古那神が登場します。
 
大穴牟遅神のアは、50種類の霊的元素、ナは大地、チは霊を意味します。
つまり大穴牟遅神とは「豊かな霊的元素に満ちた大地の働き」の意になります。
 
それに対して少名毘古那神は、
スは元、クは奇霊(くしび)、ナは大地、ビは強い霊、コはこもる、となり
「神聖で強い霊のこもった大地の働き」を意味します。
 
この神は月の主宰神ですが、
この段階では月の形成に関わるテイアに相当します。
 
テイアとは、太陽系の仮説上の原始惑星(火星サイズ)であり
およそ45億年前に原始地球に衝突したとされ、それにより
現在の地球と月が誕生したと考えられています。(別名オルフェウス)
 
つまり現在の地球と月の成立には、
このテイアが不可欠だったというわけです。
 
テイアと地球の衝突、そして月の誕生によって、地球の環境は激変します。
 
もしも月がなければ、陸には人類は元より生物は殆どいなかったでしょう。
 
大きな衛星を持たない星は、自転軸が不安定です。

月がなければ地球の自転軸も
0~90度の間で大きく揺れ動くことになります。
それにより気候は激しく変化し、生物の進化も妨げられて
文明を持つ知的生命体など生まれなくなります。
 
しかし地球は幸いに月の引力によって地軸が安定し
そのお陰で陸にも海にも生命があふれています。
 
また、月の表面を見れば明らかなように
月は地球を隕石などから守る盾の役割を果たしてきました。
 
月は表面積の約8割を破壊され続けながらも、地球に尽くしてきたのです。
 
もし月がなければ
彗星や隕石などの衝突による大量絶滅が数えきれないほど繰り返され
この地球はあたかも死の星のようになっていたでしょう。
 
 
月は海を動かします。
 
月の潮汐力によって、当初3000メートルもの高さの波が陸地に押し寄せ
潮が引くときに陸地の土砂を大量に海中へと運んでいきました。
 
その土砂は無機物や様々な栄養素を含んでいたため
原始のスープとも呼ばれる地球史上極めて重要な溶液が作られました。
 
激しい潮の流れによって、多様な無機物が結合と分裂を繰り返し
そこから生命の元となる有機物が生まれていったのです。
 
潮汐で科学的濃度が変化したため、DNAが進化し、その増殖を促しました。
長い年月を経て、太陽と月の働きが地球上で豊かな生命を育み
それが人類の誕生につながったといっていいでしょう。
 
月によって地球の自転速度が、当初の4分の1になったことで
生物が複雑に進化できる環境が整ったことも
この地球が素晴らしい星になった一因だと言えます。
 
大国主大神は、元より地球のエネルギーの総称です。
 
その中の大穴牟遅神としての働きと少名毘古那神が
相並(あひとも)になることで月と地球が誕生し、
次に、葦原色許男神の働きと兄弟のように影響し合って、
生命豊かな星になったのです。
 
大国主大神のこの一連の御名の変化は
見事に科学的な地球誕生プロセスに合致しています。
 
少名毘古那神が、共に働いた大国主大神の元から離れてゆく様子も
テイアと地球の衝突後にそこから分裂してできた月が
その後少しずつ地球から遠ざかっている事実に符合します。
 
月読大神は
ツは運ぶ、クは奇霊(くしび)、ヨは豊富なさま、ミは体を指し
「神聖で強い霊力が有形的に働くさま」を意味します。
 
この惑星と衛星の関係において
つまり月から地球へ働きかける力の総称が月読大神だといってよいでしょう。
  
(注)古神道には様々な流派があります。
従って、このブログ・&メルマガに於ける個々の見解は
古神道の全ての学派・流派に共通するものではありません。
   

2015年8月4日火曜日

古代史研究会

  
古代史研究会の北九州合宿の予定が変わりました。
詳しくは公式サイトをご覧ください。
本日のメルマガ発行後の変更になりましたので
メルマガ掲載の日程とは異なります。
よろしくお願いします。
          

三種の神器

    
★三種の神器

三種の神器とは、八尺鏡・八尺瓊勾玉・草那芸剣を指します。
    
古事記によれば、三種の神器は
天孫降臨の際に邇邇芸命が天照大御神から授けられたとあります。
そしてそれらは神武天皇以来、歴代天皇が継承しお祀りしてきました。
    
崇神天皇の時に鏡と剣は宮中を出ることになりますが
以来、鏡は伊勢神宮(内宮)、剣は熱田神宮で祀られています。
   
宮中では
八尺鏡の形代を宮中三殿の賢所に御神体として奉斎し
八尺瓊勾玉は、草薙剣の形代と共に
皇居の吹上御所の剣璽の間に安置されています。
しかし、天皇と雖もそれらを実見することは許されていません。
   
形代とは分霊・分魂(わけみたま)を鎮めたものですので、
オリジナルと同じ力を持つものと考えられています。
    
この三種の神器ですが
一体何に使われるのか、どのような役割と力を持っているのか
そして、なぜ天孫降臨に際して天照大御神が邇邇芸命に授けたのか等
たくさんの謎があります。
    
八尺瓊勾玉(やさかのまがたま)は
天照大御神の天之岩戸隠れの際に玉祖命が作り
八咫鏡とともに榊の木に掛けられたとされていますが
元々は、伊邪那岐命が黄泉の国から帰った後に禊祓をした時に
天照大御神に授けた五百個の勾玉にそのルーツがあります。
つまり、この宇宙の起源というか
宇宙が無から生じた時の極めて近い段階で登場するわけです。
    
そして八尺鏡(やたのかがみ)は
天照大御神の岩戸隠れの際に高天原の天の安河で
作られたとされています。
そして天照大御神が岩戸をすこし開けた時、
この鏡で天照大御神御自身を映して、関心を引きながら
外へ招いたとのことです。
その甲斐あって
闇に包まれていた高天原と葦原中国は再び明るくなった、という話です。
それが天孫降臨の際、天照大神から邇邇芸命に授けられ
天照大御神だと思って祀るようにとの宝鏡奉斎の神勅が下されました。
この宝鏡奉斎の神勅は三大神勅の一つとして知られています。
(天壤無窮の神勅、宝鏡奉斎の神勅、斎庭稲穂の神勅)
    
最後の草那芸剣(くさなぎのつるぎ)は
建速須佐之男命が、出雲国において十拳剣で八俣遠呂智を切った時に
その尾の中から出てきたものとされています。
       
これら古事記の記述によれば
三種の神器は、登場する時期と次元がそれぞれ異なるのがわかります。
八尺瓊勾玉は神代七代から高天原に至る次元、
言い換えると、別天津神から天津神に移行する段階の次元、
そして八尺鏡は天津神の次元
草那芸剣は国津神の次元になります。
つまりこの三種の神器が揃うことで
神代七代から国津神までの全ての神々に通ずることができるわけです。
   
古神道では、この三種の神器は「鎮魂の器械」であると考えられています。
   
古神道の修行法としての「鎮魂」は
自らの一霊四魂の一部を離脱させ、神と合一させる技法のことですが、
それは自分の一霊四魂の浄化(はらい)と霊力の向上をもたらします。
ただ実際やってみますと、その難易度は極めて高く、一般の方ですと
特別な神意によるか、或いは余程の素質がないと大成できません。
    
宮中では毎年、新嘗祭の前日に鎮魂祭という祭祀を行います。
それは新嘗祭や大嘗祭という重大な祭祀に臨む天皇の霊力を
人間の到達できる極みにまで高めるのが目的だと思われます。
    
天皇は古代から最も位の高い祭主として
国家の祭祀において中心的な役割を担っていました。
神々に祈りを捧げるに際し
神の領域に通ずることができるよう事前に準備を整えるべく
三種の神器の力を借りながら鎮魂祭を行ったものと思われます。
      

2015年7月23日木曜日

天候に恵まれて

           





                                 

2015年7月4日土曜日

隔たり

   
★隔たり
   
国学と古神道を学ぶようになって40年になります。
  
10数年にわたる先生方の御指導のお蔭で
基本的な部分については、ある程度修得することが出来ましたが
先生方の帰幽後は、進歩の速度が突如として遅くなり
以後、残念ながら、一進一退を繰り返しています。
  
若い頃は、一心に努力すれば
先生方に少しずつでも近づけるような気がしていました。
ですが、時が経つにつれて、その期待は崩れてゆきました。
  
「3歩進んで2歩さがる」ではなく、全く逆に
「3歩進んだら5歩遠ざかったような思い」になりました。
  
実感は少ないものの、薄皮をめくるように
自分としては僅かながらも前進していると思うのですが
先生方の境地が、日増しに遠ざかってゆくような感覚なのです。
  
理解が深まれば深まるほど、神界に接すれば接するほど
如何に先生方が凄かったか、その差を痛感したのです。
そしてその差は、年を重ねるに従って、大きくなってゆき
文字通り、落胆と失望の日々を過ごすようになりました。
  
質問できる方が一人もいないというのは、本当に辛いものです。
研究や体験を通して得られた仮説を確認するすべがないからです。
  
それでこのままではダメだと思い、
2年半前から修行と研究に専念することにしたのですが
最近、ますます隔たりが大きくなってゆく感じがしています。
  
毎日、先生方の御本を繰り返し読んでいますが、
わかったつもりでいた部分も
さらに深い意味があることに気付いたり、、等々
理解に自信が持てるというレベルには程遠いのが現況です。
  
本当に難しいですね。。。
   
   
「幽斎ハ宇宙ノ主宰ニ感合シ親シク八百万神ニ接ス。
其ノ修シ得ルニ至テハ至大無外、至小無内、無遠近、無大小
無広狭、無明暗、過去ト現在ト未来トヲ問ハズ一モ通ゼザルハ無シ。
是即チ惟神ノ妙法」
   
伝書にあるこれらの課題を
一つ一つ体得してゆかなければならないわけですが
実際のところ、極めて困難な道程です。
  
先師は「幽冥ニ通ズルノ道唯其レ専修ニ在リ」と仰っていますが
時間をかけてただ努力を積み重ねればよい、というものではありません。
  
一般に、修行の成果は、量と質の如何によるとはいえ
こと、古神道に関しては、何よりも「皇法」が大前提になります。
  
この部分を深く理解しませんと
どんなに頑張っても大成することはありません。
皇法なくしては鎮魂帰神も意味をなさない、と言っても過言ではないでしよう。
   
   

2015年6月10日水曜日

伊勢神宮の式年遷宮

  
伊勢神宮が式年遷宮によって
檜の香り漂う若々しい社に生まれ変わりました。
  
この御遷宮の意義ですが、20年という期間の意味と共に
昔からいろいろな解釈がされてきました。
たとえば最近では、神宮禰宜の小堀邦夫氏が新説を述べられています。
氏は神宮司庁文化部長兼文教部長、せんぐう館館長でもありますので
伊勢神宮とはとても関係の深い方です。
   
女性セブン2013年5月23日号の記事によりますと、氏曰く
   
「遷宮には莫大な費用がかかります。
当時、遷宮のために税を課していましたが、
貨幣が流通していない時代ですから稲穀類で集めました。
この最長貯蔵年が20年と決められていました。
稲穀類を蓄積したものが税で、これを集めるために
20年に1度の大きな計画が実行されてきたのです。」
   
他の雑誌でこの説を知った時、首を傾げてしまいました。
恐らく分割での支払いだと思うので、20年である必要はないでしょう。
先入れ先出しで、毎年支払いをしてゆけばいいのですから。。。
   
さらに氏は、下記のような話もされています。
   
「また、お宮を新しくすることで、
“神様に、より強いお力を持っていただく”という意味もあります。
御祭神である天照大御神は、
八百万の神々に調和をもたらす神であり、皇祖神でもある。
古代の日本人は、神様とともに生きてきました。
天照大御神の力が強まれば、
その子孫である天皇陛下に対する国民の信頼も
大きなものになると考えられたのでしょう」
   
文面から神宮を愛する思いが伝わってくるようで
「その通り」と、つい言いたくなるところですが、この説ですと残念ながら
20年という期間の意味を説明していませんし、また
「お宮を新しくする」ことで「神様に、より強いお力を持っていただく」というのも
私には、どうにも素直に頷けません。
   
伊勢式年遷宮の重要なポイントは以下の通りです。
   
1.20年に一度行われる
2.社の位置を左又は右に移動させる
   
他に、御装束神宝もまた古例に則りそれぞれ調製されますが
こちらも大変な作業を伴います。
   
いずれにしても、大事なポイントは上記の2点なので
それについて私見を述べたいと思います。
   
まず20年の意味ですが
これは式年遷宮のルーツから考えたいと思います。
そもそも式年遷宮は、第40代天武天皇の御発意によるものです。
天武天皇は日本書紀にもあるように天文・遁甲に造詣が深かった方です。
ですので、式年遷宮の御発意についても遁甲を考慮されたのだと想います。
   
この遁甲は、奇門遁甲、八門遁甲などとも呼ばれ、日本書紀によれば
602年に百済の僧観勒が、天文や暦書と共に日本に伝えたとされています。
   
天武天皇の生年は614年~640年まで諸説ありますが
崩御は686年だと言われています。
つまり天武天皇の在位期間(673年~686年)は
遁甲伝来の時期に符合します。
このような時代背景を全く無視して穀物の最長貯蔵年数に根拠を求めるのは
私には、どうにも納得がゆきません。
   
では遁甲や暦法からどうして20年という数字が導かれるのか
それについて考えたいと思います。
   
私は40年ほど前、奇門遁甲などの中国の学問を勉強しましたが
古神道を学ぶにつれて、命理学や卜占などへの興味が薄れていったため
途中で学ぶのをやめました。
でも内容的には、大変難易度の高い学問だという印象でした。
  
話が横道にそれるので、遁甲についてはあまり触れませんが
中国の暦法の基本である60干支と、遁甲の造作法に類する考え方が
ここで大きな意味を持つことだけは押さえておく必要があります。
   
60干支は、十干十二支を組み合わせたものです。
十干とは、甲・乙・丙・丁・戊・己・庚・辛・壬・癸の10種類。
十二支とは、子・丑・寅・卯・辰・巳・午・未・申・酉・戌・亥の12種類。
干支は古代から、時刻や方位、角度を表す際に用いられてきました。
従って「60干支」とは、時間と空間の全てを意味するわけです。
   
この「時間と空間の全て」を対象として、左右左の祓いを行うという考え方から
60を3で割って20、つまり20年を一つの区切りとして、左右左と祓うことが
式年遷宮の20年という期間の根拠になったのではないかと考えます。
   
神道において、修祓(しゅぱつ)は基本中の基本です。
大麻(おおぬさ)を左・右・左と振ることで、罪穢れを祓う神事のことですが
この大麻と左・右・左に深い意味があります。
   
大麻とは榊の枝に麻と紙垂を付けたものですが
そのままでは祓いを行うことは出来ません。
降神之儀によって祓戸大神の御降臨を願い
その神籬となった大麻を用います。
つまり神の宿った大麻を祓いの対象に向けて左・右・左と振るわけです。
   
さて伊勢神宮ですが、外宮内宮共に正宮の社の隣には空き地があります。
20年ごとにその正宮の社を建て替えるわけですが
隣接する空き地に新しく社を建て、完成後に御神体を御遷座致します。
   
私はそれが
大麻を祓いの対象に向け左右左と振る神事に類似していると思うのです。
修祓では神の宿った大麻を使いますが
御遷宮ではそれが御神体に相当するわけです。
   
神社のお祭りでよく御神輿を振る情景を見かけますが
これは振魂の原理によるものです。
御神体を振り動かすことで、神の働きを高めるという思想です。

伊勢神宮の御遷宮でいえば、
20年に一度御神体を遷座させることが振魂となり
御祭神の御力を高めることになります。
   
結論を云えば、式年遷宮とは
祓いと振魂の原理に基づき、すべての時空間を祓い
より強い御神力を願う神事だといっていいでしょう。
   

2015年4月3日金曜日

神社参拝の心得

    
★神社参拝の心得

神社本庁のサイトには参拝方法等について丁寧な説明が掲載されています。

参拝の方法 http://www.jinjahoncho.or.jp/iroha/omairiiroha/sanpai/

ただ、これらはあくまで一般論であり、
由緒ある神社には異なる方法もありますので
各社の伝統的な作法も一応押さえておくとよいかもしれません。

神社での祭典や御祈願などの祭式は、神社によって多少の違いはあっても
特殊な神事を除き、ほとんどの場合概ね似通った流れで行われています。
これらは顕斎(うつしいはひ)といい、古典における一例として
古事記の神武天皇の条の記載が有名です。

私は神社に参拝するに際して、以下のことを心がけています。

まずその神社について事前に下調べをしておくこと。
御祭神、由緒、特殊神事などについては、各社の公式サイトでも学べますが
より詳しく知るために、古事記や日本書紀等、何冊か文献を読んでおきます。
また、もしあれば、古神道関連の様々な記録も必読です。

また、境内の案内図などを公式サイトでチェックしておくと
現地でどこをどう周ったらよいかがわかります。

潔斎については、数日前から入浴の際に塩湯の祓いを行います。
これは手桶に荒塩を少量入れて、左・右・左の順で肩にかけます。
そして、その後、塩気をとるためにシャワーを浴びます。

昔から荒塩には祓いの効力があるとされていますが
私は、霊的な効力よりも、心理的な意味で行われるものだと思っています。
つまり心斎とでもいいましょうか、心構えに主として影響があるということです。

神社参拝や祭典それ自体は、いわゆる顕斎になりますが、
至誠通天を伴わなければ、形だけになってしまいます。

たとえば、実際の所、長年にわたりどんなに修行を積んでも、
この至誠通天がなければ、神に通ずることはまず出来ないと思います。

もともと至誠通天は、吉田松陰が語った言葉として有名です。
「至誠(しせい)」は、四書の中の「孟子」と「中庸」に出てくる言葉です。
読み方としては、通常「至誠天に通ず」か「至誠は天に通ず」とされています。

意味的には、二宮尊徳の「至誠神の如し」や
中庸の「誠は天の道なり。これを誠にするは人の道なり」を見ても
私利私欲のない「私心なき心」を「誠」と解し
「誠」の境涯に至れば必ずや天に通ずる、という意味で使われているようです。
古神道的には「惟神」(神のまにまに)の境地といってもよいかもしれません。
また大御心も「私心なき心」なので、その意味では「誠」そのものと言えます。

ちなみに昭和32~53年の22年間に、男子の名前で
「誠」が18回も首位になっています
http://www.meijiyasuda.co.jp/enjoy/ranking/year_men/boy.html
(私が18歳の時、醍醐寺で頂いた法名は「一誠」でした)

ところで、昭和17~20年の首位は「勝」で、2位が「勇」ですが
これは戦争中のことなので、時代的な背景を感じますね。

さて、この至誠通天ですが、そのもとになるのは「浄心」です。
これは古神道において基本中の基本なのですが、
現実には「言うは易し行うは難し」でとても簡単にはゆきません。

最初は「浄心」を心掛けてよいのですが、
意識してる内はまだ身についていません。

「從心所欲、不踰矩」
つまり「心の欲する所に従って矩(のり)を踰(こ)えず」の境地で
意識することなく「浄心」に在るのを理想としています。

長年にわたり、古神道を学び、また幽斎(かくりいはひ)の修行をしていても
「浄心」に程遠く「至誠通天」がなければ、神界に通ずることは出来ません。
ですから、神気を感ずる程度でよいならまだしも、
霊肉分離して神人合一を目指すなら、このふたつは間違いなく必須です。

祓祝詞を奏上したり、塩湯の祓いをしたり、それはそれで意味はありますが
「浄心」と「至誠通天」がなければ、それが真に効力を持つことはないということです。

滝に打たれたり、火の中に入ったり、私もいろいろやりましたが
それで「浄心」になれるかと言えば、答えはNOだと思います。

つまり「何かをする」ことによってではなく、それ以前の問題なのです。

古神道に鎮魂法と帰神術というふたつの修行方法があります。
これらは神伝の大変貴重な法術ではありますが
仮に、何十年間にわたって熱心に修行されたとしても
自ら明確な霊肉分離の境地に至れるかどうかは、本人次第なのです。

「至誠通天」を極めることができれば、
これらの修行法がなくとも、正神界に通ずることは出来ると思いますが
「浄心」から離れていたら、どんなに鎮魂帰神の修行に励んでも不可能なのです。
なぜ鎮魂法が「法」で、帰神術が「術」なのか、、、。
その意味についても深く考える必要があります。

神社参拝も同様です。

「浄心」と「至誠通天」。
この二つの言葉をキーワードとして、参拝に臨まれることをお勧めします。

  

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全19巻だそうです。

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2015年3月9日月曜日