2010年5月19日水曜日

史記~司馬遷

史記が他の多くの歴史書と異なるのは、
勅命によるものでない点です。
この書は清の乾隆帝の代に中国の正史と定められました。
司馬遷は凡そ1900年の歳月を経て、ようやく評価されたことになります。
たとえ個人の業績であっても、本当に価値のあるものであれば
いつか世に認められるということを実証する好例だと思います。
史記を読まれたい方には、平凡社の中国古典シリーズをお薦めします。
中国の歴史書では他に、
「漢書」(班固著)、「後漢書」(范曄著)、「三国志」(陳寿著)、
「春秋左氏伝」(左邱明著)、「十八史略」などが面白いでしょう。

四書五経

四書とは、「論語」、「孟子」、「大学」、「中庸」を指します。
「論語」は上下20篇からなり、四書五経の中で最も有名です。
孔子の言行録を弟子達が編纂したものと言われています。
姉妹編として「孔子家語」という書がありますが
こちらも内容が濃い良書です。
「孟子」は7篇からなり、孟子とその弟子達の共著です。
孔子の教えを受け継ぎながら、また孟子の説く性善説を採用しています。
「大学」は「礼記」の中の「大学篇」を抜き出し独立させたものです。
修身や治国の政治哲学が儒家の思想に基づいて説かれています。
「中庸」は「礼記」の中の「中庸篇」が独立したものです。
誠と中を基本として、天下一理を説く哲学書です。
五経とは、「春秋」、「書経」、「詩経」、「易経」、「礼記」を指します。
「春秋」は春秋時代の史書であり、「春秋経」とも呼ばれています。
孟子によれば、「春秋」は史官の年代記を
孔子が編集したものだとされています。
「書経」は当初、「書」とか「尚書」と呼ばれていました。
尭、舜から夏、殷、周の王や側近達の言辞記録です。
理想の政治が説かれた書で、孔子の編纂とも言われています。
「詩経」は、孔子が古詩の中から選定したものと言われています。
西周から春秋時代までの305編を、
風、雅、頌に分類して編集しています。
「易経」はしばしば誤解されていますが、
本来は占いの書ではありません。
陰陽論を基に、64卦によって森羅万象を表わそうと試みた書です。
これは後の2元数学の基礎となり、
コンピューターの計算原理にも通ずるものです。
「礼記」は前漢の戴聖が古代の礼を纏めたものと言われています。
儀、音楽、学問等における礼の精神について詳解しています。
この四書五経は
古来より日本でも学問の中心として重宝されてきましたが
私的には、老荘に惹かれます。
これまでに多くの訳本を買いましたが、私は
これらの書を明治書院の「新釈漢文体系」で読んでいます。
それは原文、書き下し、通釈、章旨、語釈、備考と
大変親切に編集されているからです。
でも、それらに頼るのは考えものです。
特に、老荘など訳文だけ読んでいたら、
とてもその真意などわからないと思います。
やはり原文を元に自分で解釈をしてゆくべきです。
それがこの種の学問の基本的な取組み方だと思います。

拳意述真

7年前、武術関係ではありますが、
大変参考になる書に巡り会いました。
「きみはもう『拳意述真』を読んだか」(笠尾恭二著)という本です。
原著者の孫禄堂老師は、
近代中国の伝説的拳豪、形意拳の郭雲深老師の直弟子であり、
さらに八卦掌そして太極拳の奥義を修得、
内家拳史に残る偉大な武術家です。
その孫老師が、
内家拳の究極奥義を記したのがこの『拳意述真』であり、
そこには彼の得た武術の極意が述べられています。
内家拳系統の武術を修練している方は今更というかもしれませんが
私には大変新鮮な感動だっただけでなく、
技術的にも沢山の発見がありました。
『太極拳の修練には三層の心がある。
初層の修練では、身体があたかも水中にあり
両足で地を踏みつつ
全身と手足には水の抵抗力があるかのように動くのである。
第二層の修練では、両足はすでに地を離れて水中に浮いており、
身体と手足はあたかも
遠泳の達人が自在に浮遊しているかのように動くのである
第三層の修練では、身体はいよいよ軽霊となり、
両足はあたかも水面の上を行くかのようである。
このとき心中戦々兢々として深い淵を臨むがごとく、
あるいは薄氷を踏むがごとく、少しも心に隙があってはならない。
神気が乱れれば、身体はたちまち沈下してしまうだろう。』

牧馬図

道教の経典である「道蔵」に含まれる
圓明老人作の「上乗修真三要」巻上に基づく牧馬図は、
馬を捕まえたところから始まります。
13図の内の途中までは、色の点を除くと、
ほとんど普明版の牧牛図と同じ組立てです。
どちらが先かはわかりませんが、明らかに一方を参考にしています。

馬の色は最初から最後まで白色で変化はしませんが、
終幕が市中で垂手するという話にはなっていません。
馬と人間は11図で同時に姿を消し、
仙人のような存在が円相と思われる中に描かれています。
中国禅は道家の影響を受けているので似ていても不思議はありませんが、
最後のところは普明版のような消融にはなっていません。
これは目指す境地の違いを表しているのでしょう。

禅 ZEN

昨年、禅 ZEN』という映画を見ました。
仏教の持つ純粋性がよく表現された、
透明感のあるいい作品だったと思います。
禅の世界には独特の魅力がありますが
その一端は伝わったのではないでしょうか。

2010年5月18日火曜日

一休道歌(水鏡)

 「釈迦といういたずら者が世に出でて 
 多くの者を迷わするかな 

 一休の釋迦をそしりたお蔭にて
 多くの人がうろたえぞする

 嘘をつき地獄に落つるものならば
 なき事作る釈迦いかがせん」
『一休道歌~三十一文字の法の歌』
禅文化研究所

一休といえば禅僧の中でもかなり異色な方ですが
彼の道歌にはなんとも言えぬ味わいがあります。

一休宗純は1394年京都に生まれました。
その出生については天皇家の血を引くものと言われています。
6歳で出家、諸師に参究した後に
終生の師である華叟に出会います。
25歳で大悟しましたが
天衣無縫というか、風狂そのものの生き方に
生前から賛否両論がありました。

仏教ではもとより戒律を守ることが求められます。
しかし一休は、故意に戒律に逆らった生き方をしていたようです。
酒を飲み肉食もしていましたし、34歳頃には子供もいました。

「持戒は驢となり 破戒は人となる」
戒律を正しく守る人は来世にロバとなり
破戒する者は人となって生まれ変わる。

蓮如の持念仏の阿弥陀如来像を枕に昼寝をしていた一休にとって
仏教の戒律などそれこそ他人事だったのでしょう。

冒頭でご紹介した3首は一見釈迦を揶揄するような句ですが
それは当時の仏教界への痛烈な批判であったように感じます。

自由奔放に生き抜いた一休の誇り高い気概を
読み取っていただければ幸いです。

正法眼蔵随聞記

「ある日、教えて言われてた。
わたしが宋にいた時のこと、坐禅の道場で古人の語録を読んでいた。
その時、ある、四川省出身の僧で道心あつい人であったが
この人がわたしにたずねて言った。
『語録を見てなんの役に立つのか。』
わたしは言った。『くにに帰って人を導くためだ。』
その僧が言った。『それが何の役に立つのか。』
わたしは言った。『衆生に利益を与えるためである。』
僧はさらに言った。『結局のところ何の役に立つのか。』」
「正法眼蔵随聞記」ちくま学芸文庫

「畢竟じて何の用ぞ」

この正法眼蔵随聞記は
弟子の懐弉がまとめた道元の説法集として知られています。
道元の若い頃の様子が伺えるところは「宝慶記」と同じですが
結構丁寧に書かれていますので、参考になると思います。

道元はこの僧に「畢竟じて何の用ぞ」と問われ
いよいよ返答の言葉を失います。
後に「是れ真実の道理なり」として坐禅に徹しようと、
心境を新たにするわけですが
私は、この「古人の語録」なるものをさまざまに読み替えて思索してみました。

坐禅、アーサナ、瞑想、ヨーガ、断食etc
「結局のところ何の役に立つのか?」と。

汗をかいて気持ちがよければいいじゃないか、とか
リラックスする為に瞑想しているだけ、とか
身体が柔らかくなるし、ダイエットにいいから、とか。。。

ヨーガの楽しみ方に幅があってもいいとは思いますが
命懸けでヨーガの技術を開発した先師達は
例えば、後世の人々のダイエットのために尽力したわけではありません。
「作り手」と「使い手」の意志がマッチしていないように思うのは
私だけでしょうか。
ヨーガの全体像を知るには、ヨーガスートラだけでなく
古ウパニシャッドを研究する必要があります。
そうすれば古の先師達が何を目指していたのかが明確にわかります。

「畢竟じて何の用ぞ」

悟り、サマディ、ニルヴァーナなどについても同じです。
結局のところ何の役に立つのか?と自問すべきだと思います。
それは「何のために生きているのか?」の解答にもなることでしょう。

信心銘

不識玄旨徒労念静
一種平懐泯然自尽
止動帰止止更弥動

隋の時代に活躍した鑑智禅師(606寂)の遺した「信心銘」は
禅宗四部録の一つとして、古くから禅を学ぶ人々に読まれてきました。

道元禅師も、常日頃この書を傍らに置き、
その中の句を用いて門人に仏法を指導したと言われています。
また普勧坐禅儀や正法眼蔵の中にも、句が引用されています。
4字からなる句が146句(73X2)韻文で綴られています。
解説本はいろいろ出ていますが、
なかなか納得のゆくものがありません。
ですが、もし一冊購入されるとすれば
「信心銘拈提を読む」春秋社をお奨めします。
こちらは、鎌倉時代の瑩山(けいざん)禅師の拈提です。

拈提というのは、講釈や講義とは違います。
提唱ともやや異なるもので、読み解くにはかなりの力量が求められます。

「信心銘拈提を読む」は、よくまとまっている本ですが
私は、句と拈提の原文を先に読み、
徹底的に自分なりの解釈をしてからその後で、
著者(東隆眞氏)の現代語訳と補説を読むようにしています。

それは、先入観なく、原文を直に受け止めませんと
本当のところを取り逃がしてしまうような気がするからです。
最初から現代語訳を読んだ方が楽だとは思いますが
少なからず影響を受けてしまいますので、それを危惧しています。

日本神武開国新考

天皇家の起源について書かれた本として最も衝撃的だったのは
まず間違いなく、衛挺生教授の「日本神武開国新考」でしょう。
この本の書名は専門筋でもかなり広く知られていますが
実際に読んだという人は殆んどいないと思います。
何故ならば、東大の家永三郎教授が翻訳を決意した時に
時の宮内庁始め様々な関係者が猛反発し、出版を差し止めたからです。
ここではとりあえず、
それほどまでに強烈なインパクトを持った内容だった
という事だけ述べておきます。
その後、
「神武天皇=徐福伝説の謎」衛挺生;羅積穂著(新人物往来社)で
その妨害についての経緯等を出されましたが
「日本神武開国新考」の核心部分については触れる事はありませんでした。
20年前の時点で「日本神武開国新考」は
国会図書館でも、コピー厳禁、貸し出し不可という事でしたが
恐らく今では、閲覧出来ないかもしれません。
私は半年掛りで、東京に住む華僑の方から譲って頂きましたが
彼に言わせると日本には私の所有するものを含めても
5~6冊しかないだろうという事でした。

夜船閑話

白隠禅師の禅病についてはかなり有名ですが
禅では古くから禅病、魔禅という言葉等で
偏差について警告してきました。
真面目に坐禅をやるほどおかしくなるというのでは本末転倒。
何の為にやっているのかわかりません。
勿論皆が皆おかしくなるわけではありませんが、
本来なればもっと技術的に安全性が確立されて然るべきでしょう。
気功やヨーガについても同じ事です。
そこで、白隠禅師の禅病について考察したいと思います。
白隠は26歳のとき、坐禅に励んだ為に禅病になり
京都白川村の山中で内観の法に通じた白幽子という仙人を訪ね
「軟酥の法」という独特な瞑想法を学び禅病が回復した旨を
「夜船閑話」に記しています。
ここで注目したいのは
禅の体系に禅病の治療法がなかったことです。
仙人といえば道家の修行者です。
禅宗の偏差を道家の方法で治療したというのでは情けない話です。
さてこの「軟酥の法」ですが、
極めて似かよった技術がチベット密教の中にあります。
「吉祥秘密集会成就法清浄瑜伽次第」という経典です。
この後期密教経典の成立は8世紀なので
チベットから中国に至り、道家の修行法に取り入れられたとしても
時代的には、不思議ではありません。
17世紀の白隠は時期的にも充分学べたわけです。
ですが、中国の養生医学は当時既に相当高いレベルにあったので
必ずしもこのインド的技術がルーツだと断定する事は出来ないでしょう。

ミリンダ王の問い

「ミリンダ王の問い」(平凡社)という本があります。
全3冊の長編ですが、副題に”インドとギリシャの対決”とある様に
内容的にも大変面白くとても勉強になりました。
インドに侵攻したギリシャの帝王メナンドロス(ミリンダ王)が
仏教僧ナーガセーナと教理について対決し
ついに仏教に帰依するという物語です。
インド的思惟がギリシャ的思惟と正面からぶつかり合います。
私は昭和48年、17歳の時にこの本を初めて手にしましたが
その時の感動は今でも忘れません。
ここでの仏教は
皆さんがイメージするような日本の既成仏教とはかなり趣の異なるものです。
御利益型or葬式仏教ではない、釈迦のオリジナルな思想に近いといえます。
「大王よ、たとえば、ある人がひとつの灯火から他の灯火に火を点ずる場合に、
灯火がひとつの灯火から他の灯火へ転移するのですか?」
(第5章第5「輪廻の主体は転移しない」より)
この類の話は第2章第1にも出てきますが、言い換えれば次のようなことです。
”例えば、蝋燭の灯を用いて別の蝋燭に点火する。
最初の蝋燭の灯と2番目の蝋燭の灯は同じだろうか、違うだろうか”
という問いかけです。

許進忠老師

築基参証

先年、台北にて、稀世の名著として知られる「築基参証」の著者
許進忠老師にお会することが出来ました。
自宅にお伺いしたところ、外出されたと奥様に言われ
その夜7時に中華仙学協会にて面会することになりました。
当日は7時半から研修会が予定されているとの事でしたので
とりあえず今回は御挨拶だけのつもりで30分前に伺いましたが
結局1時間半にわたり御指導を受けることができました。
お弟子さん達を1時間も待たせる事になり、とても心苦しかったですが
最高の仙人の一人といわれる許老師の特別な御好意に感激した次第。
かれこれ27年間憧れ続けていた先生に会えただけで充分だったのに
色々な質問に懇切丁寧にお答え戴き、本当に感激しました。
その上、10冊以上もの貴重な資料を戴き
次回からは遠慮なく自宅へとおっしゃって頂きました。
許進忠老師については我が国でも多くの文献で紹介されています。
いい加減な自称仙人の多い中で数少ない本物として知られていますが
実際にお会いすると、大変存在感のある方でありながら
腰の低いとても親切なお人柄でした。

2010年5月11日火曜日

五十而知天命


「十有五而志乎學、三十而立、 四十而不惑、
五十而知天命、 六十而耳順、 七十而從心所欲、不踰矩」

これは孔子の言葉です。
読み下しますと次の様になります。
「吾、十有五にて学に志す。三十にして立つ。
四十にして惑わず。五十にして天命を知る。六十にして耳順う。
七十にして心の欲する所に従って、矩を踰えず。」

実に考えさせられる一文です。
古神道の師も、この「心の欲する所に従って、矩を踰えず」を
しばしば引用されておられましたが、
ある意味、究極に近い境地を感じます。

私も50歳を超え、天命を覚るべき年頃になりました。
若い頃しばしば、自分の天命について考えましたが
当然のことながら、わかりはしませんでした。
孔子ですら、「三十にして立つ。四十にして惑わず」を経て
ようやく「五十にして天命を知る」に至るわけですから
浅はかな思いつき程度で、天命などわかる筈がないのかも知れません。

私の結論を言うならば
真我独存に至り、無と合一する段階ではじめて
自分自身の本来の役割を覚るのだと思います。
ですから、予め思い込みだけで
天命なるものを勝手に決め付けるのは
賢明なことではないと思います。
なぜなら、自らの可能性を限定してしまうからです。

なにが自分の天命なのかは
それをある程度実現できるだけの条件が整った時に
自覚(自ら覚る)するものなのです。

自分の器は自分で決めているんだ、
というセガール先生の言葉を思い出します。
自立し、惑わなくなった後で、天命を覚りませんと
本物ではないということです。

心の斎み~荘子

『回曰く「敢えて心の斎(ものい)みを問う」と。
仲尼曰く「若は志を一にせよ。
之を聴くに耳を以てする無くして之を聴くに心を以(も)てせよ。
之を聴くに心を以てする無くして之を聴くに気を以てせよ。
聴くことは耳に止まり、心は符(し)るに止まる。
気なるものは虚しくして物を待(うけい)るるものなり。
唯だ道は虚しきに集まる。虚しきこそ心の斎みなれ。」』
「荘子内編」

潔斎という言葉があります。

「神仏に仕えるため、酒肉を避け
けがれた物に触れず、心身を清らかにしておくこと。ものいみ。」
大辞林によればこのような意味になりますが
仲尼(孔子)に「斎みせよ」と言われた回(顔回)も同様に解釈をし、
もとより酒肉を避けている旨を告げます。

「回の家は貧し。惟(もっぱ)ら酒を飲まず。」

これに対して孔子は次のように応えます。
「是れ祭祀の斎みにして、心の斎みには非らざるなり」

そして冒頭のやり取りに続くわけですが
30年前にこの荘子内編を読んだ時に
私は、仏典のサンユッタニカーヤを思い出しました。

「水を必要としない沐浴とは、苦行と清らかな行いとである」(中村元訳)

古来、世界各地ではいわゆる禊が
潔斎の重要なアイテムとして行なわれてきました。
この「禊」ですが、大辞林では次のように説明されています。
「海や川の水で体を清め、罪や穢(けが)れを洗い流すこと」

私も毎日の日課としての水行、そして
冬には山に篭り滝行などをしていましたが
それは、この大辞林的な解釈によるものでした。

また、水だけでなく火でも「祓い」を行なおうということで
火生三昧(裸足で燃えさかる火の上を歩く修行)などにも励みました。
確かに生死の境を彷徨うような荒行にも
それなりに意味があるとは想いますが
実際に取り組んだ結論としては、あまりお奨めできません。
なぜなら、身体への負担が大きすぎますし
また原理的に必ずしも有効ではないからです。

きちんと説明しますとそれこそ一日かかるような話なので
とてもメルマガでは書けませんが
そもそも穢れの考え方として、
大別すると顕(有形的)と幽(無形的)の2種類があり
これらは質的に全く異なるものなのです。
そして祓い(浄化)が難しいのは、明らかに後者であり
単に水をかぶる事などではとても解決できません。
ですから荘子も心斎の重要性を「虚」のレベルで語っているわけです。
ヨーガに於いてもウパニシャッドを解釈する時に
これと同じ課題に何回も直面します。
当初ウパニシャッドだけを読んだ時
宇宙の最高原理たるブラフマンとの合一&融合の段について
多くの疑問点が湧き上がり、よく理解できませんでしたが
古代中国&日本の叡智を、慎重につきあわせながら
ウパニシャッドの記述を精査した処、はじめて
なるほど!と膝を打つことができました。
その時、潔斎、心斎と、さまざまな段階での「斎み」が
どのような意味を持ち、如何に大切なのかをようやく理解することができました。

千字文


250の句になる本書は
梁の武帝が、周興嗣に作らせたものとして知られています。
一句が漢字四字で書かれているため「千字文」と名付けられました。
そして千字全てが異なる文字で書かれています。

古来、漢字の初級教材や書道の手本としても用いられてきましたが
その内容はかなり難しいもので、とても子供向けとは思えません。

冒頭は「天地玄黄 宇宙洪荒」で、宇宙論から始まります。
上辺の言葉尻だけを追わずに、その意に想いを馳せれば
本書の持つ深い味わいが伝わってくるでしょう。
私が最初に手にしたのは、今から30年ほど前のことですが
千字文は、実に多くの示唆を与えてくれました。

大概の翻訳本には、現代語訳がついていますが
これまで読んだ数種類の中には、頷けるレベルの訳がありませんでした。
「老子(道徳経)」もそうですが、
やはり自ら体験を積み重ねながらその真意を思量しなければ、
本当のところはわからないのだと思います。

「求古尋論 散慮逍遥」
古に道を求め、論を尋ねる。
囚われや拘りを解き、こころまかせ(逍遥)に生きる。

ここでの論は、先人達の智慧を指します。
特定の教えを盲信(固執)するのではなく、
幅広く学ぶことで真の自由を得よう、ということでしょう。
「逍遥」とは、荘子の「逍遥遊」に通ずる考え方です。
日本の国学で言う「惟神(かむながら)」と同じようなスタンスです。
ですから、この「逍遥」は単に
「のびのびと満足に暮らす」(某書の訳)
などという薄っぺらい意味ではありません。
荘子の説く悟りの境地そのものなのですから。

論語の読み方―2


ヨーガスートラ講座の際に関連年表を作ろうという話を致しました。
それはパタンジャリーがヨーガスートラを編纂した時に
何を知り得る環境にあったかを確認する必要からですが
実は、それだけが目的なのではありません。
その後の展開について知ることも同じく大切だからです。
ですからヨーガスートラ成立後から現代に至るまでの年表も必要なのです。
ブラフマン、アートマン、プルシャ、自在神等々
太古からずっと同じ定義ではないことを
先ずは押さえなければなりません。

つまり言葉の定義それ自体が変化してゆきますと
原文の解釈にも大きな違いがでてきます。

前回の論語がよい例なので、それで説明しますと
「朝聞道、夕死可矣」は
南宋の時にそれまでの解釈が一変しました。
ここで重要なのは南宋がどのような時代だったかということです。
いかなる理由から解釈が変わったのか
その背景を知ることが求められます。
つまり南宋の時代の何かが、論語の解釈に影響を与えたのです。
興味のある方は、その辺りの切り口で研究されますと
思わず「なるほど!」と膝を叩く事になるでしょう。

そして魏の時代の解釈ですが
こちらは孔子の生きた時代をかなり研究しています。
孔子がいつ言った言葉なのか?
その時各国がどのような状況にあったのか?
あの言葉を発した時の心情がどのようなものだったのか?
そして「道」とは何を意味しているのか?
きっと歴史推理小説を読むときの興奮が味わえます。

ところで、私はかつて論語について
時代別に様々な解釈を学びましたが
変わったところとして、次の2書を挙げたいと思います。
「論語講義」渋沢 栄一著 講談社 全7巻
「孔子評伝」匡亜明著 北京外文出版社

前者はかの渋沢翁の著作です。
幕末から明治を生き抜いた偉大な経済人ですが
その方の論語講義は一味違います。

そしてその対極ともいえる「孔子評伝」。
こちらは以前北京で購入した本なので日本にはないと思いますが
なんと毛沢東、マルクス、エンゲルスの視点からの解釈です。
「こうした言葉は、当然、マルクス主義にとって代わることはできないが
マルクス主義者は、この中から有益なものを吸収することができ
また、そうすべきである。」(P503)として、論語に新解釈を与えています。
さらに毛沢東の演説の中に論語の言葉が引用されている事実を挙げ
その思想的な関連についても考察しています。
論語に限らず、老荘やヨーガスートラ等々
時代背景等によって様々な解釈がなされる様は
研究を深める上でとても興味深いものです。
ヨーガスートラを読むときも
どこかのヨーギの解説本を1冊読んだ程度で満足されませんように。

論語の読み方-1

『朝に道を聞かば夕べに死すとも可なり』
論語にでてくる有名な言葉です。

この「朝」は通常「あした」と読み下しますが
なぜ「あさ」と読まないのか、昔随分考えてしまいました。
一般的な辞書では(三省堂・大辞林)
「人としての道を悟ることができれば、すぐに死んでも悔いはない」
ということらしいのですが、
例によって、素直な性格でない私は
歴史を紐解きながら、いろいろ調べてみました。

確かに現在出版されている解説書を4~5冊開けましても
表現は別にして、ほぼ同じ解釈をしています。
ですが中国に於いては必ずしもそうではないのです。

先年ヨーガスートラの講義の際も申し上げましたが
たとえ有名な先生の解釈であったとしても
それを盲信しないのが私の昔からのスタンスです。
・                 
探源、つまり源を探りませんと、本当のところは見えてきません。
  ・
そこでこの論語の一文についても
孔子の母国である中国でどのように解釈されていたのか
時系列的に調べてみました。

もとより中国に於いて、論語の注釈に
大別して古注と新注があるのは知る人ぞ知るところですが、
実際には、魏、梁、宋、南宋、清と注釈にも時代的な変遷がみられます。

日本の注釈者も、たとえば
清末の「論語正義」をメインに採用する等々
個人の好みや思想に従ってどの考え方を採用するかは人それぞれです。
しかしながら、この「朝聞道、夕死可矣」は
古注と新注で、全く異なる解釈になっています。
前述の大辞林的な解釈は新注(南宋の朱熹)によるもので
比較的新しいものなのです。
ところがそれ以前、つまり魏の何晏によれば
全く別の注釈になります。
この何晏の注釈は、現在全存する最古のものであり、
中国では唐代まで、日本でも奈良時代に持ち込まれてから鎌倉末期まで、
論語解釈の基本でした。

同じ文章がここまで別の解釈になるのか!と驚くほどですが
私としては、魏の何晏に軍配を上げたいと思います。

この言葉を孔子はいつ、どういう状況で、どのような気持で語ったのか?
それが私の判断の根拠だからです。

魏の何晏の解釈ならば
「朝」を「あした」と読んでも全く違和感がありません。
そして、この「朝」がいつの朝なのか?
きっと、そこまで深く想いを馳せることになります。

この短い言葉に孔子が如何なる思いを込めたのか
彼の心情を察することなく、その真意を知ることは出来ないでしょう。

自得ということ

『君子入るとして自得せざるなし』
「君子無入而不自得焉」~「中庸」より

『自得ということは自ら得る、自分で自分をつかむということだ。
人間は自得から出発しなければならない。
金が欲しいとか、地位が欲しいとか、
そういうのはおよそ枝葉末節だ。
根本的・本質的にいえば、人間はまず自己を得なければいけない。
本当の自分というものをつかまなければならない。
ところが人間いろんなものを失うが、
何が一番失いやすいかというと自己である。
人は根本において自分をつかんでいない。
空虚である。
そこからあらゆる間違いが起こる。
人間はまず根本的に自ら自己を徹見する、把握する。
これがあらゆる哲学、宗教、道徳の根本問題である。』
「知命と立命」安岡正篤著 プレジデント社

「中庸」は、儒家の四書のひとつです。
そもそも四書には、皆さんよくご存知の「論語」をはじめ
「大学」「中庸」「孟子」がありますが
この「中庸」はもともと「礼記」の一篇として伝わったもので
司馬遷の史記によれば、孔子の孫の作と言われています。

全6段で量的にはさほどではないのですが
よく読み込みますと、かなり難易度の高い文献です。
第一段の冒頭の節からして格調高い文章ですが
全段を通して、毅然とした志を感じる一冊です。
「論語」の後に「大学」と併せて読まれることをお奨めします。

倹以て徳を養う

『倹とは無駄遣いをしないということだ。
徳を無駄遣いしてはいけない、
つまり徳を損ずるようなこと徳を無くすようなことを
無思慮にやってはいけないということ。』
「知命と立命」安岡正篤著 プレジデント社

「徳」について安岡先生は幾つか例を挙げておられます。

「人間が自然から与えられているもの」
「万物の霊長として精神的存在と見る時に、
これが人間の本質であり、根本であり、根幹であるというもの」

私は
徳とは「真我(アートマン)の本性そのもの」だと捉えています。
なぜなら、それこそが他の動物や植物にはなく
万物の霊長たる人間だけに与えられた「本質」だからです。

そして「徳=真我」を損なうものは、全て「穢れ」となります。
穢れとは「気枯れ」の意であり、それらは
真我本来の働きを抑制し損ないます。
ヨーガ的に言うならば生命力を弱めることになります。

「倹以て徳を養う」為には
この「穢れ=気枯れ」から離れることが求められますが
ヨーガの階梯に従うならば、まず
身心脱落と純粋観照者の出現を経て真我を独存させ、
然る後に無と合一・融合する必要があります。
それによって全徳の境涯に至ることになるわけです。

静以て身を修める

『「静」ということが問題である。
人生も動と静との次元から成り立っている。
このことは人間の生命を諸君が考えてもすぐわかる。
たとえば呼吸あるいは脈搏、これは生命の動的な面だ。
生命の活動の現象である。
けれどもどうして我々が呼吸をし、
どうして我々が脈搏、すなわち血液の運行があって体を維持しているか
というとそこにはあらゆる細胞器官、
あらゆる機能の見事な統一・調整・調和がある。
そしてそこに限りない静かな落ち着きと全き和がある。
これが「静」である。
つまり最も立派な「動」は、最も立派な「静」と一致する。』
「知命と立命」安岡正篤著 プレジデント社

ヨーガも初心者の内は(特に密教ヨーガの場合)
アーサナに励むことになりますが
形をある程度マスターしたら、次に
動と静について思索することをお薦めします。
ヨーガでも、安岡先生の言われるように
「限りない静かな落ち着きと全き和」が大事なのです。
そこに於いて『最も立派な「動」は最も立派な「静」と一致』します。

難しいアーサナに真剣に取り組んでいますと、
往々にしていつの間にか、手段と目的が入れ替わってしまうことがあります。
何の為にアーサナに取り組んでいるのかを忘れ
アーサナの上達が主たる目的になってしまうのです。
それではヨーガの完成はいつになるかわかりません。
動の中に静を求め、同時に静の中に動を求めてゆきますと
両者の間に「見事な統一・調整・調和」が生まれてきます。
仏像作って魂入れず、という言葉がありますが
アーサナを完成させる為の大事な要件は
まさにこの「和=ムスビ」に他なりません。

2010年5月8日土曜日

キリストの棺

1980年にエルサレムで見つかった凡そ2000年前の墓に
イエス、マリアそしてユダたちが埋葬されていた、
というまさに耳を疑うような強烈な内容です。
(これはノンフィクションです!)

イエス、ヨセフ、マリアなどの名前が
当時のエルサレムで
至極ありきたりの名前だったというのも初耳でした。
でも、それぞれが珍しくない名前であったとしても
これらが同時にひとつの墓所に埋葬される確率となりますと
1億9000万分の一という限りなくゼロに近いものになります。
この時代エルサレムの男子の人口は
8万人足らずだったそうですから
ほとんど「決まり!」と言ってよいかもしれません。

イエスの生涯については、さまざまな説がありますが
もしもこの柩が科学的調査により、真贋問題をクリアしたならば
間違いなく、それらの論争に終止符を打つことでしょう。
復活についても、かなりシリアスな問題提起となるはずです。

イエスの古文書

「新聖書発行作戦」(新潮文庫)ウォーレス著を改題したものです。

"イエスの弟、義人ヤコブの福音書が発見された"
という初期キリスト教の古文書をめぐる推理小説ですが、
聖書学の薀蓄も豊富で、読むほどに引き込まれてゆきます。

死海文書を始め、初期キリスト教の文献は
これまでにも幾つか発見されてきましたが
このヤコブの福音書も、それらに負けず劣らず
すごくリアリティのある内容です。

私は厚生労働省関係の仕事を切っ掛けとして、
約20年前より枢機卿を始め、バチカンの方々とも
大変懇意にさせて頂いております。

お食事のときなどに、いろいろなお話をさせて頂いていますが
当初想像していたよりも、気さくで率直な方々ばかりです。
以前この本について、少し遠慮がちに、話題にしたところ、
ある神父さんから「おもしろそうな内容ですね」といわれました。

私事ながら、推理小説が好きになった切っ掛けは、
この本と、井沢元彦氏の「猿丸幻視行」(講談社文庫)でした。
この「猿丸幻視行」は、当時
江戸川乱歩賞受賞作品の中の最高傑作ともいわれた作品です。
折口信夫を主人公として暗号を解読してゆくというストーリーです。

ナグ・ハマディ写本

二十世紀には、キリスト教にとって二つの貴重な発見がありました。
ひとつは「死海文書」で、もうひとつが「ナグ・ハマディ写本」の発見です。
この写本は1945年にナイル川流域のナグ・ハマディと呼ばれる地域で
大甕のなかに封入されていました。

その内容は、キリスト教の基本概念を揺さぶるものであり
初期キリスト教の封印された真実の姿だという人も少なくありません。
もちろん「正典福音書」としての扱いは受けていませんが
従来のイエス像とは全く違う印象を与える衝撃的な書です。
これに関する書籍はいろいろ出ていますが、
たとえば次の2書があります。
「ナグ・ハマディ写本」(白水社)
「トマスによる福音書」(講談社学術文庫)

マハムドラーの詩

「ブッダは捜して見い出されるはずがない
それ故、己が自身の心を熟視せよ。」

ミラレパ(1040-1123)は、チベット密教の有名な聖者です。
「十万歌(グルブム)」の作者としても知られています。
「マハームドラーを行ずるとき
わたしは気を散らすことも労することもなく
あるがままの状態にくつろぐ
空(くう)の境地では、
明知にくつろぎ至福の境地では、
自覚にくつろぎ無想の境地では、
裸の心にくつろぎ
現象の現れと活動においては
三昧(サマーディ)にくつろぐ。」
『ミラレパ』おおえまさのり訳

当初、呪殺の法を学び、怨敵の叔父に復讐しましたが
その後後悔の念から、かのマルパの弟子となりました。
そして過酷な修行を経て、マルパより密教の秘伝を受け
正式にカギュー派の伝承者となりました。

「マハムドラーの詩」はとても素晴らしい作品です。
秘伝といってもよい程の至高の言葉が散りばめられています。
これは単なる読み物としての詩ではなく
実技書としても大変有用な文献であることは間違いありません。
各節をよく咀嚼しながら、その叡智を味わって頂ければと思います。

ゲルク派「死者の書」

「チベットの死者の書」はチベット密教の教典で
エヴァンス・ヴェンツにより英訳され、世界に紹介されました。
私が最初に手にしたのは、30年ほど前の訳本ですが
それはニンマ派の「バルド ソドル 」で
「ミラレパ」と同じく、おおえまさのり氏の訳によるものでした。

後に、ニンマ派の他訳だけでなく、ゲルク派の「死者の書」も手に入れ
5冊ほど比較しながら読みましたが、両者は内容も異なりますので
興味深く読むことができました。

もっとも、チベットだけではなく
エジプトの死者の書や、古事記&日本書紀等も並べて読むと
また違った読み方ができると思います。

菩提道次第論

 

 
「菩提道次第論~ラムリム」は
チベット密教の天才ツォンカパの代表作として知られています。
その内容は極めて高度で、かつ難解なものですが
ヨーガ修行者にとって大変参考になります。
   
とくに
ヨーガ研究に不可欠とも謂える瑜伽唯識論の重要文献である
「解深密経」等を理解する上で役立ちます。
私事ながら、かつて「解深密経」を読んだ際に難解だった部分が
この「菩提道次第論」によってかなり明白になりました。
 
もちろん「菩提道次第論」にしても、良書とはいえ
その説くところについて、全面的には同意しかねますが
頷けるところも沢山ありますので
これが有力な参考文献であることは間違いありません。
   
本書はかなりの大著ですし、
中観と唯識の知識がないと読めませんが
原始仏典からはじめて仏教学を順序よく学ばれた方には
相当な発見を与えてくれるはずです。
 
ヨーガスートラ程度の初歩的なレベルを目標とするならば
古典的ウパニシャッドは必須ではありませんし
インド・中国・日本・チベット等の他の叡智も無くてよいでしょう。
しかしながら、ウパニシャッドの境地を体得する為には
グローバルに視野を拡げ、学び方それ自体から考え直す必要があります。
 
先ず全体像の概観を知る為に先賢の遺した良書を学び
そして師匠の指導に従って、悟りの階梯を順に自ら体験する。
当然のことながら、各段階ごとに、先の良書等を以って随時確認し
体験と気付きを通して、先人の悟りを自身で検証してゆく。
 
私は、修行とは、その繰り返しだと思います。
 
◆ツォンカパ
パドマサンバヴァ、アティーシャ、プトゥンと並び称され
チベット仏教史上の偉大なる高僧として知られています。
14世紀後半から15世紀初頭にかけて精力的に活躍し
チベット最大の宗派であるゲルク派の開祖となりました。
アティーシャの「菩提道燈論」に従って「菩提道次第論」を著し
性的ヨガの実践に依存しない悟りへの階梯を確立するとともに
チベット仏教学を理論的に整理し大成させました。

 

第三の眼

第三の眼・あるラマの自叙伝(1979年、講談社)
第三の眼とは、アジニァー・チャクラを指しますが
ヨーガをあまりご存じない方にも、この本はかなり読まれたようです。
あまりポピュラーではないチベット僧の修行話なのですが
秘教的な、ややオカルトがかったストーリー展開は
東洋的神秘思想への興味をかき立てるものでした。

この本が英国で発表された時、読者の第一の関心は
著者であるロブサンランパの正体についてでした。
真贋を含めた、さまざまな憶測を経て
最終的には実在しない架空の人間だということが判明しました。
ノンフィクション風の創作作品にしては実に真に迫っており
とても机上の想像だけで書けるような内容ではなかったのですが
真相はチベット旅行経験のない英国人の小説であり
その内容についても事実でないと断定されました。
真の著者であるシリル・ホスキンは、しばらく姿を隠していましたが、
2年後に次の様に弁解しました。

1947年に奇妙な霊感を得、
1949年に脳震盪を切っ掛けとしてそれまでの一切の記憶を失い、
チベット人の記憶に支配された、という摩訶不思議な説明でした。
乗り移られた彼がその憑依者の意志でこの本を書いたのであり
つまり本人は預かり知らぬという意味合いなのですが
荒唐無稽な作り話として、世間は一笑に付したと言います。

いずれにしても興味本位で小説として読むならば
結構楽しめる内容です。
ただ間違っても本気で受取らないように。
オカルトチックな空想小説として読む事です。
ところでこのような憑依によって書かれたという本は、
さほど珍しいものではなく、世界各地に散見することが出来ますが
その多くは自動書記によって書かれたとされているようです。
私はこの自動書記についてはあまり評価しませんが
それに類するものは何度か目にしたことがあります。
でもほとんどの場合、憑依というよりも本人の思い込みによるもののようです。
また、前世とかの生まれ変わり話や、チャネリングなども
似たような類だと思われます。

死生観と人生観

『かれの意志に反して 人は死ぬ 
死ぬことを学ぶことなく
死ぬことを学べ  
さすれば汝は 
生きることを学ぶだろう』
「チベットの死者の書」(おおえまさのり訳)

人生観と言うと、一般には
過去の生き様を顧みながら、
「今」を視座として未来を思い描こうとします。
確かにそれはそれでアイデンティティを確立する上で
とても大事なことには違いないでしょう。 
ですが、ヨーガでは、逆の発想をも忘れません。
つまり「死生観」です。
人間は生れた時から死に向かって歩み始めます。
だれも死から逃れることは出来ません。 
そして前世も来世も、元よりありません。
一度しかない「今」をどう生きるか? 
過去の結果が「今」であり、
「今」だけが明日を生みだすことができるのです。
時とは「今」の連続に過ぎず、過去も未来も実体を持ちません。
いわば死生観と人生観は、
「今」の自分を決定するベクトルのそれぞれの座標軸となるのです。
鎮魂とはまさにそのベクトルの安定している状態であり、
自己実現(Self-realization)とは、極めて充実した「今」に他ならないのです。

詩人・屈原は言います。
「貴方は流れに逆らわずに生きろと言うが、私は逆らってはいない。 
私は自らの魂の流れゆくままに従って今を生きているのだ 」と。

2010年5月6日木曜日

グルムック先生

ロータス8で5月3日に行なわれたグルムック先生のワークショップにて。
左の方は、3HO時代の先輩の秋山先生です。
私はグルムック先生のクラスの冒頭で
少しお話をさせて頂きました。
今の私のスタイルは、3HOとはかなり違いますが
なにやらとても懐かしく、昔のことが次々と思い出されました。