2010年12月29日水曜日

リトリート

 
先日、リトリートについて質問を受けました。
今年から始めた古代史ツアーで、
熊野、出羽、戸隠などへ行く予定があるかどうかということですが
結論を言うと、その3か所について企画する予定は全くありません。
理由については書きませんが、将来、気が変わることもないと思います。
古代史リトリートだけでなくマスタークラスの合宿でも同様です。
場所的には、いろいろ興味深いとは思いますが。。。
 

出雲国風土記

 
夕べは出雲国風土記(「神典」収録)を読んでいました。
ほぼ完本として残っている唯一の風土記として
古来より、広く知られていますが、
編纂者が出雲国造である出雲大社の宮司であることなど、
成立に関わる背景も、他とはやや異なっています。
 
記紀には登場しない国引き神話等々、
出雲国風土記独特の神話などが、興味深いところです。
興味のある方は、古事記と出雲国風土記で
大国主神がどのように扱われているか
その相違点を整理されてみてください。
きっといろいろなことに気付くはずです。
 

2010年12月28日火曜日

カラヤンと第九

   
学生の頃、
カラヤン&ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団の
第九合唱付のレコードを買いました。
ともかく早く聴きたくて、慌てたために
針を置くとき、盤に傷をつけてしまいました。
一瞬にして、力が抜け、落ち込みましたが
その日、仕方なく、2枚目を買いました。。。
 
CDとレコードでは音域の再現性が違うと聞きましたが
一度、聴き比べてみたいものです。
 

第九合唱付

 
  
毎年クリスマス前後に、
交響曲第9番ニ短調『合唱付き』を鑑賞に行きます。
今年は、ピッツェッティの歌劇「フェドーラ」など、
ミラノ・スカラ座などで活躍するスペイン出身のオペラ指揮者
エンリケ・マッツォーラ氏の指揮でした。
ついファッションに眼がゆくほどお洒落な方でしたが
実に伸びやかで、個性的な、素晴らしい指揮でした。
 
この曲を作った時、ベートーベンは
既に、耳がほとんど聞こえなかったそうです。
その辺の模様は、映画「敬愛なるベートーヴェン」をご覧下さい。
もちろんフィクションですが、すごくよくできた作品です。
 

2010年12月24日金曜日

2010年12月23日木曜日

やまと

 
「やまとは 国のまほろば 
 たたなづく 青垣 
 山隠(やまこも)れる やまとしうるはし」
ヤマトタケルノミコト
 
来年は「やまと」をテーマにいろいろ書いてゆきたいと思います。
大和とは「大いなる和(魂)」に通ずるものと思います。
なぜなら、古代大和の中心たる大神神社も、
その本家である出雲の「出雲国造神賀詞」では、
御祭神を大穴持命こと大国主神の和魂(にぎみたま)としていますので。
 
前回の大和リトリートでは、
大和の特殊性についていろいろご説明しました。
歴史を学べば、あの時代から、
文字通り「大いなる和」の国を志向していたことが窺えます。
この和魂の志こそ、時代、民族、国境、宗教を越えて
広く人類に求められているものではないでしょうか。
 

2010年12月21日火曜日

サマディ

 
サマディには、幾多の階梯があります。
例えば、歓喜のサマディですが、これは実に鮮烈な体験です。
 
セックスやランナーズハイのような脳内麻薬系のエクスタシー感覚を
風による海面の波立ちに喩えますと
この歓喜のサマディは、それこそ深海から空に突き上がってゆく様な
存在の根底から一気に湧き上がるような鮮烈な歓喜なのです。
 
私は自分の障害を克服する為にヨーガをはじめ
それこそ生死の境ギリギリの修行をしてきました。
 
そのため、ヨーガをやっていて楽しかったという思い出よりも
つらい、きつい、という大変だった思いが強かったのですが
この歓喜のサマディを味わった時には
「生きていてよかった」
「生まれてきてよかった」と
本当に心の底から実感しました。
 
文字通り生涯初の感動的な体験でした。
 
そこで体験する光の洪水は、まるで滝壺にいるような状態で
ともかく鮮烈で、力強く、清浄さと
言葉にはできない美しさに満ち溢れていました。
 
これはサマディの階梯では初歩のレベルなのですが
ヨーガを志す方には、ぜひ味わって頂きたいと思います。
人生観そのものが根底から変わることでしょう。
 
すでに何人もの方々に体験して頂きましたが
共通するのは、一様に終わってから眼に涙を浮かべ
言葉を失ってしまうことです。
その余韻にいつまでも浸っていたいという感覚なのです。
 
ヨーガのサマディを体験するには
いくつかのハードルがあります。
 
それは、依存心をもたないことと「あるがまま」に在ることです。
つまり自然無為に近い状態になりませんと、サマディは訪れません。
ウパニシャッドの瞑想では、マントラ、呼吸法、アーサナ、観想等々は
すべて役立ちません。むしろ邪魔になります。
 
何もしないこと
つまり作為なく、自然に、あるがままに座れるかどうか
ここに、サマディの成否全てがかかっています。
 
つまり真のサマディは、極限状態で得られるものではないのです。
優しさと、穏やかさに包まれたごく自然な状況の中でこそ
体得できるものなのです。
 
ですから
クンバカで息を止めたりして酸欠状態を作り、幻覚を見て喜ぶような
いい加減な世界ではないのです。
 
観察から観照へ。
その意味を知ることが、サマディへの鍵なのです。
 

2010年12月20日月曜日

ヨーガスートラとは


ヨーガスートラは
ダイエットスートラでも体操スートラでもありません。
 
アーサナで汗を流して気持がいいというのも
ウェストが3センチ細くなって喜ぶのも
ヨーガの効果として、大変結構なことですが
それはパタンジャリーの本意ではなかったと思います。
 
ヨーガスートラを書いたパタンジャリーは
読者に、サマディを体得して欲しいと願っていたはずです。
 
ヤマ・ニヤマへについて
パタンジャリーはヨーガのメインには据えておりませんし
また信仰を強調することで宗教化してゆくのも望んではいません。
 
ヨーガスートラのヨーガは
一般にラージャ・ヨーガといわれていますが
その主たる目的は
「ウパニシャッドのサマディ体得」への準備、
この一点に尽きます。
 
それはヨーガスートラを暗記し、言葉の上で議論することでは
到底得られない境地です。

2010年12月17日金曜日

必要な文献


密教ヨーガだけに取り組むのならば
ウパニシャッドもヨーガスートラも深く学ぶ必要はないでしょう。
でもサマディを得たいと望まれるのならば
少なくともカタ・ウパニシャッドとヨーガスートラは
しっかりと読んでおくべきだと思います。
 
さらに、学習が深まれば、必要に応じて
ブリハッド、チャーンドギヤ、マイトゥーリ、マーンドゥーキヤ
の各ウパニシャッドまでは把握しておく方がいいでしょう。
 
しかしながら、読むといっても、
ただ個別に字面を追うのではなく
各ウパニシャッドやヨーガスートラと関連付けながら、
頭の中できちんと整理し、全体図を意識しつつ、
体系的に理解すべきです。

2010年12月15日水曜日

アヴェマリア

サラ・ブライトマンです。先日の東京公演の最後もこの曲でした。


再生後に画面をクリックするとワイド画面になります。

カタ・ウパニシャッド


カタ・ウパニシャッドは極めて重要なウパニシャッドです。
その為か、しばしばヨーガ関連本にその一部が引用されています。

「アートマンを車主と知れ。肉体を車、覚を御者、意を手綱と心得よ。
賢者たちは、もろもろの知覚器官を馬とよび、
諸知覚に対応する諸対象を道路とよんでいる。」

「五つの知覚器官(眼耳鼻舌身)が意(思考器官)とともに静止し、
さらに覚(理性、高次の精神的な意識器官)も働かなくなった時、
人はこれを至上の境地という。
ところで、このように心の諸器官を固く抑止することを、
人びとはヨーガと見なす」(以上 佐保田鶴治博士訳)

確かにヨーガの定義を知る上ではとても重要な部分だとは思いますが
巷間では、なぜか他の部分についてあまり言及されていないようです。

カタ・ウパニシャッドとは一体どのような文献なのでしょうか? 
何のために書かれたものなのでしょうか?

ある翻訳家はカタ・ウパニシャッドに
「死神の秘教」というサブタイトルをつけています。
それはこの文献が、死神ヤマと青年ナチケータスの対話から
構成されているものだからですが、
なぜヤマが主人公なのかといえば
このウパニシャッドが「死を超える」ことを目的としているからです。

「ナチケータスは死神によって説かれたこの知識と、
ヨーガの全規定を得て、ブラフマンに到達し、穢れを離れ、
死を超越した者になった。
まさしく最高のアートマンについてこのように知る他の者も
(死を超越した者となるのである)」(中央公論社「世界の名著」)

これはカタ・ウパニシャッドの最後の部分に書かれています。
ヨーガの目指す境地とは、まさにそこにあるのです。
そしてその前提条件が、ヨーガスートラの説く真我独存なのです。

この「ヨーガの全規定を得て、ブラフマンに到達し」ですが
カタ・ウパニシャッドには、その方法が具体的に書かれています。

ウパニシャッドの歴史

ヨーガを練習する目的は、人によって様々だと思います。
ダイエットでも健康増進でも、正しく行なうならば
ヨーガは多くの効果を与えてくれることでしょう。

それについて是非を問う気はありませんが
もしもヨーガの奥深さに気づき、その程度では満足できないという方は
ヨーガスートラとウパニシャッドを読まれるといいでしょう。

紀元400~450年頃に編纂されたヨーガスートラは
顕教ヨーガの基本書として世界的に広く知られています。
そしてサーンキャ・ヨーガ派の優れた成果として
時代を超えて、高い評価を得ています。

この一連のインド思想は、ヴェーダに始まります。
そして数百年間にわたって研究、検証された結果
カタ・ウパニシャッドに於いて一応の成熟をみるわけです。
そこに於けるヨーガの定義は、ヨーガスートラそのものであり
準備段階としての重要な役割を与えられています。

ヨーガスートラのゴールは
ウパニシャッドの理想に至る為のプロセスのひとつに過ぎないのです。
ですから、ウパニシャッドを読まずして
ヨーガの全体像を知ることはできない、といえます。

ヨーガの役割とは何か?
真我とは何か?
一体最後はどうなるのか?

ウパニシャッドとヨーガスートラの関わりについて研究することは
ヨーガを真に理解する上で不可欠だといってよいでしょう。
 
◇古典的ウパニシャッドについて

初期の散文ウパニシャッドの成立。(BC7~6世紀頃)
ブリハッド・アーラヌカヤ(世界と人間の創造神話)と
チャーンドーギヤ(五火二道説)が一番古く、続いて
アイタレーヤ、カウシータキ、タイティーリヤ。
そしてケーナ、イーシャーがいずれも仏教以前に成立。

古代中期の韻文ウパニシャッド。(BC4~3世紀頃)
カタ、ムンダカ、プラシナの各ウパニシャッドが成立。
哲学的で、また一神教的信仰やサーンキャ思想や
ヨーガについてもかなり具体的に触れている。

後期の散文ウパニシャッド。(BC1世紀頃)
先行するウパニシャッドの諸思想を継承しつつ、
それをサンキャやヴェーダーンタ等の学術的思想に
まとめようとする傾向が見られるようになる。
マイトラーヤナ(黒ヤジュル・ヴェーダ系)
マーンドゥーキヤ(アタルヴァ・ヴェーダ系)

2010年12月13日月曜日

釈迦VSイエス

学生の時に読みましたが、何とも凄い作品です。
光瀬龍のまさに渾身の作だと思います。
萩尾望都の漫画版もなかなかいい出来だと思いますが
やはり小説の方がいいですね。
プラトン、釈迦、阿修羅、イエス、ユダ、帝釈天などが、それぞれ
哲学的、宗教的なことを言いながら暴れまくります! 
キリスト教徒の方は気分を悪くするかもしれませんが。。。

運と縁

運がなければ、グルには会えません。
運があっても、縁がなければ、指導は受けられません。
あとは、正機と機根、そして霊統が必要になります。
正機とは、仏教語ですが、辞書によると
「仏の教化、救済を受ける条件を適切に備えていること」
機根とは、同じく
「仏の教えを聞いて、悟りを開くための基盤となる
衆生の宗教的性質、能力のこと」
つまり、ようやくのことでグルに出会っても
縁がなければ、傍らに座ることはできませんし
仮にその機会を得ても、正機がなければ同一化はできません。
そして、もし同一化できても、機根がなければ
その体験を自分のものにすることはできないでしょう。
さらに、霊統ですが
これは如何ともし難いものがあります。
私見ですが、この霊統は
受動態よりも能動態の時に問題になるものと考えます。

2010年12月11日土曜日

ヨハネの福音書

アマゾンで買ってしまいました。
クリスチャンでもないのに、
年末はキリスト教系のDVDばかり観ることになりそうです。
クリスマスは、毎年恒例の第九合唱付を鑑賞する予定。
今から楽しみです。

ニューシネマパラダイス

夕べ「ニューシネマパラダイス」を観ました。
噂には聞いていましたが、本当に素晴らしい映画でした。
もし20代とか30代で観ていたら、
また違った観方になると思いますが。
世界各国でいろんな賞を獲ったのも頷けます。

2010年12月7日火曜日

天地創造

こちらも子供の頃、銀座のテアトル東京で観たのが最初ですが
まずはスケールの大きさに圧倒されました。
CGのない時代ですから、相当な制作費がかかったことと思います。
巨匠ジョン・ヒューストン監督といえば、あの「風とライオン」をはじめ
「アフリカの女王」など名作をたくさん残していますが
この「天地創造」も、とてもよく出来た作品です。
旧約聖書の概略が飲み込めますので、興味のある方はどうぞ。

キングオブキングス


それともうひとつ。
イエスをテーマにした作品で忘れられないのは
この「キングオブキングス」です。
オーソン・ウェルズのナレーションも味わい深いですし
イエスの生涯を丁寧に描いています。
特に7000人のエキストラを使った「山上の垂訓」のシーンは
さすがハリウッドの大作という印象ですが
全体的には、綺麗に整った「聖書物語」という感じです。
「偉大なる生涯の物語」と続けてみると面白いと思います。

偉大なる生涯の物語

イエスの生涯といえば、何と言っても、まずこの作品でしょう。
(メルギブソンの「パッション」も観ましたが、あれはちょっと、、。)
小学生の時、今はなきテアトル東京の巨大スクリーンで
この3時間以上の大作を観ましたが、強烈な印象でした。
その後、3~4回は観たと思いますが
主演のマックス・フォン・シドーの存在感というか、凄いですよ。
彼はイングマール・ベルイマン監督の「第7の封印」にも主演していますが
あちらも最高です。(ただ現在手に入らないかも)

奇跡の丘

年末に観ようと思いDVDをたくさん買ってしまいました。
もっとも全部、これまでに何度か観た作品ですが。
この「奇跡の丘」は鬼才パゾリーニ監督の代表作の一つです。
イエスの生涯を、彼独特の視点から丁寧に描いています。
一説には、彼はクリスチャンではなかったとか。
でも台詞は、「マタイの福音書」に沿っています。
(イエスがあまりに早口なので、字幕を読むのに忙しいですが)
パゾリーニ監督の作品をはじめて観たのは18歳の時でした。
「アポロンの地獄」という作品ですが、これは衝撃的でしたね。
ギリシャ悲劇の「オイディプス王」の物語です。
パゾリーニ芸術の頂点の作品と言ってもいいかも知れません。
この後、彼の作品は全部観ましたが、段々息苦しくなってきました。
「テオレマ」辺りが許容の限界でした。。。

2010年12月5日日曜日

アイーダ

そういえば22歳の時に1ヶ月ほどヨーロッパを旅行したのですが
その時ローマのカラカラ遺跡跡の野外劇場で、オペラ「アイーダ」を観ました。
迫力もかなりのものでしたし、舞台演出にも圧倒されました。
あれが切っ掛けでオペラファンになりましたが、
30年以上経っても、あの時の「アイーダ」の思い出は色あせません!
多少無理をしても、かけがいのない人生のひと時を大事にしたいものです。

パッション

                                                サラ・ブライトマンが認めた才能です。
本当に、素晴らしい!まさに天才です。
透き通った透明な歌声と、タイトル通りのパッション
世界は広い、と心底思わせる逸材です。

ロータス8

今日は朝10時から夜8時まで
ロータス8のディーチャーストレーニングでした。
ヨーガスートラの「アーサナ」からウパニシャッド瞑想まで
10人の方々に、9時間がかりでレクチュアしました。
スポット的な講習なので、かなり手加減しましたが
通常味わえないような濃厚なヨーガ体験をして頂けたことと思います。

2010年12月2日木曜日

雪景色といえば-夕陽



段々と陽が落ちてゆきます。

雪景色はいえば-3



氷壁の外へでると、、そこはもちろん雪景色。
ともかく眩しくて、眩しくて。
眼が痛くなるほどでした。

雪景色と言えば-2


アルペンルート・雪の大谷ウォークです。(4/20)
http://www.alpen-route.com/
凡そ15メートルもあるという氷壁は本当に凄いです!

2010年12月1日水曜日

マントラと経典

「瞑想は言葉を反復することでも、
まぼろしを目のあたりにすることでも、
あるいは沈黙を香うことでもない。

数珠や経文は、精神の雑音を静めはしても、
結局のところ一種の自己催眠にすぎず、
催眠薬を口にするようなものである。」
『クリシュナムルティの瞑想録』平河出版

マントラや読経は
特定の音程やリズムに集中することで、
心を一定の状態に誘導します。

言葉の意味が大事だという方もいますが
それは宗教的な作用に関わるものでしょう。

クリシュナムルティは、一種の自己催眠だと言っていますが
その通りだと思います。

なぜなら、その効果は、多少の余韻があったとしても
所詮は一時的なものにすぎないからです。

ヨーガスートラは、真我探求の素晴らしい手掛かりです。
その冒頭には、ヨーガの定義が述べられていますが
ヨーガスートラをひとつの理想とするならば
その定義を逸脱する技術は適切ではないといえます。

心の作用の止滅という目標を達成する為に
様々なマントラのチャンティングや、読経は
果たして必要なのでしょうか?

マントラや教典に依存することは
明らかに
ヨーガ本来の方向性に逆行しているといってよいでしょう。