2011年5月28日土曜日

諏訪リトリート

 
今回の諏訪リトリートには、特別な意味があるように思います。
それについては、いろいろなデータをもとに現地でご説明したいと思います。
きっと初めて聞く話になろうかと思いますが、
私の理解は、当日お話しする通りです。
 
「和」と「大和」の違いにも深く関係するものですので
諏訪の4社を巡りながら、その真意を受け止めてください。
 

原発の立地

 
浜岡原発は停止しましたが、
核燃料がそこにある限り危険な状態であることは
福島の現況を見ればわかります。
 
日本は世界でも特出した地震国ですが
まさに中央構造線とフォッサマグナのライン上に
なんと16基が建設され、さらに2基がその途上にあります。
 
東京電力柏崎原発・・柏崎千葉構造線断層帯・・7基
東海第二原発・・中央構造線断層帯・・1基
中部電力浜岡原発・・糸魚川静岡構造線断層帯・・3基
四国電力伊方原発・・中央構造線断層帯・・3基
九州電力川内原発・・中央構造線断層帯・・2基
中国電力上関原発(建設中)・・中央構造線断層帯・・2基
 
今回の福島第一・第二も、東海第二から近く、
中央構造線の延長線上にありますので
それも含めますとさらに10基が加算されます。
 
つまり28基、全国56基(2基は建設中)の丁度半数が
極めて危険な立地にあるわけです。
 
選りによって何故わざわざ高リスクな場所ばかり選んだのか
意図的にそうしたとは思いたくありませんが、、、。

*中央構造線・・日本最大級の断層系
*フォッサマグナ・・日本の主要な地溝帯
 

2011年5月14日土曜日

豊葦原の瑞穂の国


中国という語は、
元々「詩経」で「地理的な中心部」という意味で用いられたのが初出ですが
日本もかつて「葦原中国」(単に「中国」ともいう)と自称していたことがあります。  
しかし同じ漢字を使いながら、その意味は大きく異なります。
 
中国が、当初、地理的に世界の中心という解釈をしていたのに対し、
日本では、高天原と黄泉の国(根の国底の国)の間にある世界、つまり
顕界としてのこの世界(特に日本のこと)を指していました。
 
これは現実の世界という平面(地理)的な意味での中心という解釈ではなく、
霊的な意味で天地(あめつち)の間にある国という位置付けだったのです。
 
日本書紀には、豊葦原千五百秋(ちいほあき)瑞穂國
大祓祝詞にも、豊葦原の瑞穂の国、と書かれていますが
これは、文字の上からは
豊かな葦原と瑞々しく美しい稲穂が実る国、という意味です。

また辞書によれば、豊葦原の瑞穂の国とは
「神意によって稲が豊かに実り、栄える国の意、日本国の美称」
とあります。
 
神道において、
大嘗祭や新嘗祭が最も重要な神事の一つになっているように
瑞穂という語は美しさと豊かさの象徴であるとともに、
古来、とても神聖な意味があったのです。
 
大祓祝詞には、
「我が皇御孫命は 豊葦原瑞穂國を
安國と平らけく知ろし食せと 事依さし奉りき」
とありますが
今回の原発事故などは、この神意に逆行する最悪の事件だと思います。
大地と生きとし生けるもの等が放射能に汚染され、
長きにわたり穢れ(気枯れ)を残します。

放射性物質の半減期は、たとえば
セシウム137は半減期が30年、
プルトニウム239は2万4千年、ウラン238は45億年。

この半減期ですが、
単にその期間を経過することで半分になるという意味です。
つまり半減期ごとに半分になる現象が繰り返されるわけです。
ですので、半減期の10倍が経過すると
最初の約1千分の1まで減少することになります。

気の遠くなるような話ですが、それが原発のリスクなのです。
単に、発電コストが安くなるということで、原発を推奨してよいのか
本当の意味でクリーン・エネルギーなのか、等々、
現実を見てもう一度判断すべきでしょう。

私は、この豊葦原の瑞穂の国を
人が住めないような汚染地帯にするリスクを覚悟してまで
原発を維持し、また増設し続ける政策には、とても賛成できません。
 

2011年5月10日火曜日

方丈記

 
1月27日に『方丈記』鴨長明について書きました。
   
「天変地異と、飢饉による無数の餓死者
大自然の猛威に対して無力な人間の儚さ。
   
彼の生きた時代がどのような時代だったか。
それを知ってから、方丈記を読むと
彼の心情が伝わってきます。」
 
実は、同書に次のような文章があります。
「恐れの中に恐るべかりけるは、ただなゐ(地震)なりけり」
 
古語では、地震のことをナイフルといいます。
ナイとは大地をさしますので、それが「振る」状態を地震と表現したわけです。
参考・・「日本書記」武烈天皇の影姫歌謡に「地(なゐ)が振りまじ」。
 
 
そして長明は、
前記の引用の前に次のように書いています。
 
「また同じころかとよ。
おびたたしく大地震ふること侍りき。
そのさま、よのつねならず。
山はくづれて、河を埋み、海は傾きて、陸地をひたせり。
厳割れて、谷にまろび入る。
なぎさ漕ぐ船は波にただよひ、道行く馬は足のたちどをまどはす。
都のほとりには、在在所所、堂舎塔廟、一つとして全からず。
或はくづれ、或いはたふれぬ。
塵灰立ちのぼりて、盛りなる煙の如し。
地の動き、家のやぶるる音、雷にことならず。
家の内にをれば、たちまちにひしげなんとす。
走り出づれば、地割れ裂く。
羽なければ空をも飛ぶべからず。」
 新潮日本古典集成『方丈記・発心集(三木紀人校注)』より
 
彼が生きていた鎌倉幕府開府直前の1185年7月9日に
大地震が発生していますので、それについての描写なのですが
それにしても実にリアルで、臨場感があります。
人間はいつの世も、
大自然がもたらす禍と恵をともに受け止めて生きてきたのです。